2014年08月25日

路上演奏考:音量の話

音量の話
今日はちょっと難い(かたい)話。
路上演奏家にとって重要なファクターである、音量についてだ。

路上演奏に対して寄せられる批判に、
「コンサートやライブは聴きたい人間だけが聴きに行くものだが、路上演奏は聴きたくもない人間に無理矢理音を聞かせている」
と言ったものがある。
この言葉、半分は事実だけど、半分は逆の解釈も出来る、と僕は思う。

コンサートやライブ、どんなにひどい演奏だったとしても、一度入ってしまえば簡単には出る事は出来ない(多くのホールでは演奏中の出入りを禁じているほどだ)。

だけど、路上演奏なら気に入った観客は立ち止まればいいし、そうじゃない人はそのまま通り過ぎれば良い。
その間、僅か数秒。
言ってみれば、僕らはその数秒に勝負をかけて演奏をしているわけだ。

ただ、その点から言うと、場所をわきまえずに大音量で演奏したり、不必要に音量を電気的に増幅している人々を僕は同じ路上演奏家とは呼びたくない。
交差点や停留所といった、人々が立ち止まらなくてはならない場所をわざと選んで演奏している輩も同様だ。
彼らは(僕に言わせれば)街の雑踏や表現の自由という言葉を言い訳にして、勝負を逃げているのだ。

そして、彼らのせいで純粋な路上演奏家もあらぬレッテルを貼られ、周辺住民の苦情という形で演奏場所を奪われてしまう…。中には、それで生活の糧を失ってしまう人もいるのだ。



少し語気が荒くなってしまったようなので、ここで聴いてもらいたい話がある。
 それは、路上で知り合ったあるロック・ギタリストと共演した時の話。きっかけは彼が僕らの演奏に興味を持ち、一緒にジャムろうと声をかけてきた事に始まる。

彼は普段、大容量のアンプで拡声したギターを(それも音が良く響く高架下トンネルの入り口で)弾いているのだけど、その日は僕らに合わせてアンプを介さずギター一本で演奏する事になった。

その日の演奏は、僕らにとってはいつも通りだったのだけど、終了後、ロッカーの彼は気になる事を言った。
「今日は客が多くて緊張した」と。
彼の方が路上の常連で、いつも僕らよりずっと人通りの多い場所で演奏しているというのに、いつもよりお客さんのプレッシャーを感じたというのだ。なぜか?

僕はそれが距離の問題なのだとすぐに気づいた。
僕らの演奏を聴くお客さんは、雑音を避ける為に僕らのすぐ目の前までやってこなければならない。
(時には、街の喧噪から守ってくれるかのように集まったお客さんが人壁を作ってくれることすらある)

けれども、アンプを使って演奏する彼の前では、人々は足早に立ち去るか、聴くとしても通行人を挟んだ通路の向かい側の壁に距離を置いて居並ぶ事になってしまう。

去り際、彼に「アンプもないのに、なぜそんな迫力ある演奏が出来るのか?」と聞かれたので、ごく簡単なアドバイスを伝えておいた。



「明瞭さとは、明暗の適当な配置である」
そう言ったのはハーマンだったと思うけど、この言葉、こうも言いかえられると思う。
「ダイナミクスとは、音量の大きさではなく、
強弱の適当な配置である」

+++


最後に大サービスして、路上演奏家のウラワザを一つ紹介しよう。

人通りが少なく、辺りに誰もお客さんがいないなと思ったら、いつもより少しだけ大きな音で演奏してみる。
これは、ここにこんな演奏をしている輩がいますよ、と知らせる為だ。

そして、誰かが近寄って来たと思ったら、音量を少しだけ下げてみる。
(大きな音のままだと、離れた所から聴いているだけか、少しだけ聴いて満足して立ち去ってしまうことが多い)

そして、お客さんが目の前まで来たら、気付かれないように(決して音楽のテンションは落とさずに)音量をさらに少しだけ小さくする。
すると、彼女(もしくは彼)は演奏が気になって、さらに近づいてきてくれるだろう。

 そう、チップを待ち望んで口を開けたギターケースに手が届く、すぐ近くまで。
『路上日記』加賀ヒロツグ


タグ:路上演奏
posted by Clark at 14:43 | Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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